旅7日目、朝5:45のテラスから南西方向、朝焼けの山々。
右側の山塊の最高峰がホッホカルター(Hochkalter, 2606m)、左側の雲が湧き出ている山がベルヒテスガーデンアルプスを代表する名峰ヴァッツマン(Watzmann)の主峰Mittelspitze(2713m)で、これはドイツで3番目に高い山、山体が全てドイツにある山では最高峰だ。泊まっている宿の名前Lodge2713はこの主峰の標高に因んだに違いない。
その右手、東南東方向の山々は朝日が当たらずシルエットが浮かぶ。左からケールシュタイン(Kehlstein, 1881m)、中(雲が掛かっているのが)ホーアー•ゲル(Hoher Göll, 2522m)、右がホーエス•ブレット(Hohes Brett, 2341m)だ(多分)。ホーアー•ゲルとホーエス•ブレットはゲル(Göll)山塊の一部でともにドイツ(バイエルン州)とオーストリア(ザルツブルク州)の国境の山々だ。
今日は名峰Watzmann(ヴァッツマン)の麓にある景勝地ケーニヒス湖とオーバー湖に向かう。8:00時に宿を出て、ケーニヒス湖畔にある駐車場まで車で15分ほど。8:30にはSeelände港からSt. Bartholomä往きの船に乗ってた。船上からの景色にすでに圧倒されていた。Watzmannはやはり雲の中だった。ちなみにWatzmannはその独特な形状が最大の魅力(後程ベルヒテスガーデン旧市街地から少し登ったところからの全体像の分かりやすい写真を掲載する)だが、下の写真の雲に隠れているのはKleiner Watzmann(2307m;あるいは地元ではWatzmannfrauと呼ぶ)というヴァッツマン山塊の一部だ。船長さんは時折、景色の解説をしてくれる。北側遠くに見える山が魔女が横たわった姿だとか、ヴァッツマンの伝説とかだ。娘が横で同時通訳してくれるので助かる。後からWatzmannについて改めて調べたので、簡単に紹介する。
WatzmannはMittelspitze (主峰2713m)、その南側にWatzmann Südspitze (南峰2712m)、北側にWatzmann Hocheck (ホチェック2651m)からなり、さらにその東側のWatzmannfrau (ヴァッツマンの妻2307m)、と主峰と妻との間の”七人の子供達”と呼ばれる2250m前後の小さな山々も含めた総称でもある(Watzmannkindと名前の付く山は5峰)。地元ではヴァッツマン伝説というものがあって〜昔、ヴァッツ王という強欲な王様がいて、あまりに民衆を苦しめたためにヴァッツ王とその家族は石に姿を変えさせられた〜のだそうだ。
乗船時間は30分ほど。途中、船長さんは岩壁に挟まれたところで船を停めて「ここはやまびこがよく聞こえるスポットだよ」と、徐にロータリートランペット(さすがドイツだ)を取り出していきなり演奏を始めた。かなりの腕前だ。聞き惚れてしまい、やまびこに注意が行かない。演奏が終わり拍手喝采になると「皆さんありがとう。ではチップをお願いします」と、ちゃっかり満員の乗船者の間を巡っていた。船長曰く「この仕事は操船は勿論、船の整備、演奏もできないといけないから大変なんだよ」と自画自賛してた。
St. Bartholomä港で下船。1時間余りハイキングした。ケーニヒス湖畔からの景色は素晴らしくて見飽きない。振り返ると、Watzmannfrauが相変わらず雲の中だがそのダイナミックな岩肌が光り輝いて、森とのコントラストが美しい。
湖畔から森の中に入っていくと途中、多くの倒木に出会った。それもほぼ一方向に倒れている。散策路に説明書があったが、以前、大規模な雪崩が起きて襲われた箇所の森は失われたとのこと。おそらくそれに関連した名残なのだろう。今は静かで深い森の中で路端の花には蝶やハナムグリが集い冬の厳しさに思いが至らない。
St. Bartholomä港からまた船に乗って15分くらい、königssee湖の最奥、Salet港に到着。まだ11時にもなっていないが、混む前に昼食にしようと、開店したばかりのレストランへ。ご当地名物?のスモーク鱒が美味しかった。ここはナショナルパーク内、ナショナルパークとベルヒテスガーデンアルプスにベルヒテスガーデンの地ビールで乾杯。
そこから10分とかからず、今日の目的地オーバー湖(Obersee)に到着。Ober湖の最奥まで湖畔のアップダウンの激しい岩場の散策路を進んだ。道すがら絶景に度々足が止まる。雲が多く日差しが刻一刻と変化し、空と岸壁と森と湖水がさまざまな表情を見せる。一瞬、風が止むと鏡のような湖面に周りの景色を浮かび上がる。たちまち神秘的な光景が広がる。本当に美しい。
Obersee
美しいとしか言いようがない。
いかにも氷河地形だ。カールに水が溜まったフィヨルドのような光景。Ober湖の最奥の先、左側の山はHanauerlaubköpfl (1878m)、右奥の山はWildpalfen (2236m)やオーストリア国境のWildalmriedl (2269m)やJägerburunntrog (2230m)だ(多分)。
そういえばOber湖で泳いで遊んでいる人たちがいたなあ。綺麗な水を見ると皆入りたがる。
Ober湖の景色を堪能し、元来た道を戻る。帰りの船もまずまずの混み様だ。Seelände港に15時過ぎに到着。買い出しして宿に戻ったのが18時くらい。一日の行程を地図で確認した。美しすぎる景色の数々。忘れられない一日になった。夕陽に染まるGöll山塊に乾杯。
旅8日目、ベルヒテスガーデンはドイツの東南端に位置する。言葉は悪いが盲腸みたいにオーストリア側に飛び出してる。テラスから見えるGöll山塊はもう国境だ。今日はベルヒテスガーデンからオーストリアのザルツブルクまでドライヴだ。所要時間はわずか30分。近い。
ザルツブルクは思い出の町だ。31年前に初めての海外旅行でウィーンとザルツブルクを訪れて以来だ。娘夫婦はザルツブルクは初めてらしく、「じゃあ、案内してね」という。いやいや無理でしょ!
ホーエンザルツブルク城の南側にある駐車場に車を停めて、まずはホーエンザルツブルク城を目指す。トロリーバスや街並み、なんとなく懐かしい。見上げると城が聳える。
31年前にもホーエンザルツブルク城に行くには行ったが、夜、城内のホールで室内楽の演奏会を聞きに行っただけで、城内の見学はしていなかった。夜20:00とか21:00とか丁度日没の頃で夕陽に染まるホール内で弦楽四重奏を聞いたなあ。旧市街の広場から城まではケーブルカーに乗った。こんな立派なケーブルカーはなかったと思う。
ホーエンザルツブルク城から旧市街地を見下ろす。ザルツブルク大聖堂の横の広場では野外コンサートの準備が行われているようだ。ザルツァッハ川を挟んで奥が新市街地、手前が旧市街地だ。城内の見学路にはザルツブルクの歴史が展示されている。ザルツブルクとは直訳すれば塩の城。紀元前2500年前から岩塩の採掘が始まり、中世(〜15世紀)には莫大な富をもたらした。街は8世紀の末に大司教座が置かれてカトリック文化の一大拠点として発展した。1077年の聖職叙任権闘争という権力争いの中、当時の大司教が11世紀末に城砦を築き、12世紀半にほぼ完成して難攻不落の城として知られた。前のブログで出てきたノイシュバンシュタイン城などとは決定的に異なり、戦う拠点としての城だ。大砲がそれを物語っている。一方で塩の交易で周囲の国との平和的な交流が盛んであったようだ(駆け足で展示を見たので定かでないが、確か「平和と塩」みたいな展示があった気がする)。
ホーエンザルツブルク城から帰りは徒歩で降りてきて、丁度お昼の時間。娘の旦那がお勧めのオーストリア料理のレストランGasthof Goldgasseを予約してくれていた。
まずはザルツブルクの地ビール、トュルマーピルスの生ビールをいただだく。娘の旦那はFreispielというノンアルコールビール。食べるのは勿論、オーストリア料理といえばWiener Schnitzel(ウィンナーシュニッツェル:仔牛肉を薄く叩いて伸ばしたカツレツ)。ドイツでは豚肉で作るらしく、本場のシュニッツェルを堪能。左側の皿はスープのように見えるが付け合わせのサラダ。そして最後にデザート、Salzburger Nockerln(ザルツブルガー•ノッケルン:ザルツブルクの山々)という、泡立てた卵白に小麦粉と砂糖を入れて焼き上げてベリーソースやバニラアイスと一緒に食べる郷土料理。一人分とか二人分とかそういう単位はなく、この大きさ一択だ。巨大だが口当たり軽くて大人四人だと割とペロリと食べられる。
食事を終えて店を出ると14時!料理が出るまで結構待たされたが会話も弾み美味しい郷土料理を楽しんだ。
実はホーエンザルツブルク城からGasthof Goldgasseに向かう途中の広場で「あれ?」って思っていてず〜っと気になっていたことがあった。街角で絵を売っているよくある光景なのだが、なんか見覚えがある… 広場に戻って絵を探した。「あった、あった、、、やっぱりこれはあれだよなあ。」などとぶつぶつ言っていたら、横の人だかりの中から大男が現れて手を広げている。???やっぱり!!!なんとなんと31年前にザルツブルクを訪れた際、同じ広場で絵を売ってた画家だ。向こうも嬉しそうにお前は絵を買ってくれたよな、と嬉しそう。saci perereは毎日彼の絵を見て過ごしているのだから覚えているのは当たり前だが、向こうにしてみれば31年前に絵を買ってくれた通りすがりの28歳の東洋人なので覚えているとは思えないのだが、頭が混乱して感動して通りの真ん中で大声出して二人で抱き合ってしまった。なんという偶然か!あの時、3枚の絵を買って、一枚を自宅に、双方の実家に一枚ずつ飾った。したの3枚の絵がそれだ。画家の名前はIgor Radovan Zindovic 、猫背の痩せた怒り肩の感情がすぐ爆発する繊細な青年画家だったように記憶している。
後日、昔の写真を漁って出てきました。ボケボケですが証拠写真。彼のHPによると、”30年間ザルツブルクの広場で描き続けている。広場に行けば私を見つけることができる”とある。全くその通りだったのだ。
31年前のIgor ZindovicとSaci Perere
Igorと別れて、街歩きを再開した。31年前でも迷うことなく歩けるのが不思議だ。モーツァルトの生家、祝祭大劇場、カラヤン広場など地図も見ずに巡った。街並みは変わっていないのだが、モーツァルトの生家の一階がスーパーマーケットになっているのには驚いた。オーストリア土産といえばモーツァルトの顔の絵が入った包み紙の丸いチョコが有名だが、多分皆さんがよく見るのは赤っぽい包み紙。ザルツブルクにもそれがそこかしこに売っていたが、娘の旦那によると、青い包みのモーツァルトチョコは正真正銘ザルツブルク土産だそうだ。赤いヤツより値段が倍以上高い!4つだけ買って皆で食べた。
祝祭大劇場を抜けてなんとなく入った教会。31年前に教会に入ってゆくと音大生だろうか?パイプオルガン(の練習と言ってもちゃんと弾いている)を度々聞くことができた。そんな気持ちでなんとなく入った教会。後で調べたらフランチェスコ会教会という8世紀に起源を持つザルツブルクで最古級の歴史ある教会堂とのこと。12〜13世紀にロマネスク様式、15世紀にバロック様式、17世紀にネオゴシック様式に改修されて今でもさまざまの様式が組み合わさって残っているそうだ。なかなかの荘厳な佇まいだ。
Franziskanerkloster
フランチェスカナーといえばミュンヘンを代表する白ビール。saci perereは”おじさん”と呼んでいる大好物だ。こちらはミュンヘンのフランチェスコ会教会に由来するとのこと。
駐車場に向かうためにホーエンザルツブルク城の脇を抜けて行く途中、見晴らしの良いところに案内板が。何気なく読み始めてびっくり。ザルツブルクはアルプス山脈の北端。ザルツブルクの街ははるか昔、氷河の末端に位置し、ここにはかつて古ザルツブルク湖が広がっていたのだ。いや〜興味深い!
ザルツブルクを出発、16時すぎにベルヒテスガーデンに戻ってきた。少し時間が早いので夕飯の買い出しの前に旧市街から山を少し登ったところに景色の良いところがあるらしく、行ってみることにした。
Wallfahrtskirche Maria Gern(マリア•ゲルン巡礼教会)の横の駐車スペースに車を停めてヴァッツマンを仰ぎ見ると、教会の尖塔と周囲の森、ヴァッツマンの山容の対比が美しい。
ここからハイキングコースがあり最初とんでもなく急な坂で閉口したが、30分ほどでベルヒテスガーデンからのヴァッツマンの象徴的な光景を見ることのできる展望所Marxenhöheに到着した。
ベルヒテスガーデンの街の向こうにヴァッツマンが聳える。ベンチがいくつか設置されていて、一日ここでスケッチするのも良いなあ、と思った。
娘夫婦のスマホの写真性能の方が優れているので、拡大して撮ってもらった。先に紹介したヴァッツマン伝説はこのベルヒテスガーデンからみるヴァッツマンから生まれたのだ(多分)。
MarxenhöheからのWatzmann
夕飯の材料を買い出しして19:30に宿に帰着。珍しく赤ワインで乾杯。デザートは本場本物のザルツブルクのモーツァルトチョコだ。
21時、Göll山塊が夕日に染まる。あまりに盛り沢山の1日が終わった。